「良書に出会う確率が倍増する方法」の割り切り方に納得できず

たまたまこんなページを見たんですよ。

知らないと損!良書に出会う確率が倍増する5つの方法 - NAVER まとめ

良書に出会う確率を上げようという趣旨で、前半は

>1.海の壁でフィルタリングする

>2.著者の力を借りてフィルタリングする

>3.時の洗礼を利用する

とかいうもの。

ようするに翻訳される本は良書の確率が高い、よく引用されたり参考にされる本は良書の確率が高い、古い本で今でも残っているのは良書の確率が高い、といったところでしょうか。

なんとなくの違和感

確かにそのとおりなんだけど、確率を上げるならそれが正しいんだけど、でもなぜか引っかかるところがあります。

たとえばいま本屋に大量の本があるとして、それらをざっくりと分類したり評価したりできないものだという認識が私にはあります。

もし分類できたとしても、分けた人によって微妙に違うものになるでしょう。本って例えば日本語の文法みたいに複雑で例外の多いものだからです。

翻訳された洋書は選ばれた本だというのは本当なんだけど、でもそうじゃない所に実は良いモノがあるかもしれない、とか。

あの分野には全然興味が無いんだけど、でももしかしたら良書が隠れているかもしれない、とか。

見たことも聞いたこともないタイトルだったけど良かった、とか。

そういう考えを無視している点に、ちょっと共感できなかったです。

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